第4回「間について」(04/10/14)

 


 間は宝物である。間は恋人である。取ろうと思えば、中々上手く取れない。

 間とは?
 間とは呼吸である。私が演出をする時、良くこう言う。間にもいろいろあるが、間とは単に役者が台詞を言わない空白ではない。
 間とはなんであろうかと考えると、色々な考えがあると思うが、間とは役者の意識と客が意識が合致する瞬間であるとも言える。例えば、役者が疑問に思う間と客が疑問に思う間が共有出来れば、次の台詞が生きてくる。つまり、間が生きたということだ。

 間は宝物
 間は宝物である。私が演出をする場合、良くこう言う。少ないからこそ効果があると言うことである。役者は何か重要なことを表現しようとする時に間を取りたがる。また、上手く感情の流れが作れない時に間を使ってしまう。間が多くなると、その分一つ一つの間の効果はなくなっていく。また、間は数が少ないと効果を発揮しない。また、間が多くなりすぎるとテンポを損なう。
 そこで、演出として大事な仕事は、間を削るということになる。間を取りたがる役者にたいしては、間の必要性、間を必要としない方法を提示していかなければならない。

 間は恋人
 間は恋人である。取ろうと思えば、中々上手く取れない。私が演出をする場合、良くこう言う。間というものは、意識して取ろうと思うと、上手く取れないものである。意識してしまえば、それはたちまち人工物になってしまうからだ。ちゃんと成立させるためには、キャラクターの感情の流れに沿った形で取らなければならない。「何秒間台詞を言わない」といった考え方では、絶対に上手く取れない。
 また、間は非常にシビアなものである。役者の指や目の動き一つ、具体的に言えば、間の間にそれらを動かしてしまえば、成立しない。役者に関わらず、客席の動きですら間の成立を妨げる場合がある。「良い芝居は、役者と客の呼吸が合う」という言葉があるが、間についても、それがあてはまる。

 間が多いと…
 無駄な間を取ればお客さんは考える。台詞を聞いている時も考えているが、間があけば、「芝居のテーマ」とか「今晩の献立」を考えてしまう。考えると当然疲れてくるので、無駄に間の多い芝居は見ていて疲れる。だからこそ、お客さんに考えて欲しい局面以外では間は使わない方が良い。
 演劇に対する考え方は様々であるが、私は、「お客さんは台詞や動きを見たい」と思っている。だから、私が演出をする場合は、「間は必要最小限で、最大限に効果的」ということを意識している。

 実践 「間を書く」
 どんな演劇をするかによるが、間が多すぎることは良くないと思われる。勿論、わざとそうする場合は別であるが。
 間の多い、少ないを体感出来るのは個人差がある。また、多いと思った場合でも、何故多いか、どこで多いかは分かり難い場合がある。
 そこで、練習を見ながら脚本に間のあった箇所を書き込むと、間を把握することに有効である。単純に数は、書き込みを見るとすぐに分かることであるし、図形的(一次元)な解釈も出来る。間の配置が図形的に美しいかどうかも重要である。例えば、●を間、○を間意外と考えた時、以下の図は、どれが図形的に気持ちが良いだろうか?

 1) ○○●○○●○○●○○●○○●○○●○○●○○●○○●
 2) ○○○○●○○○○○○○●●●○○○○○○○●○●○○
 3) ○●○○●○○○○○○○○○○○○○○○●●○○○●○

 感じる所は、人それぞれであると思うが、1)は単調で数が多すぎるかも知れない。何にしろ、間を書けば、見方も増えるし、数の把握は容易である。これは、演出だけでなく、役者も自分の演技を組み立てる時に、やれば、自分の演技を図的に解釈できる。間以外のモノも沢山、書き込めば良い。
 

 

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