第2無駄話「漫画家初期作品を考える。」(2002/1/9)

 

 

 最近、漫画家の初期作品にこっている。ある漫画家の初期の作品から現代に向かって読んで行くと、その作風の変遷が分かって、非常に面白い。最近、読んだのは桂正和。「ウイングマン」。それを読むと今の所最新作である「I’S」と同じ作者とは思えない。さらに、彼の「ウイングマン」以前の作品を読むと同様の感想が、より強くなる。「ウイングマン」は連載が長かったから、絵柄が変わって行くのが良く分かる。徐々に「I’S」に向かって行っている。しかし、彼の初期作品から現代に至るまで、絵柄は随分変わっているが、根底に流れる共通点がある。同じ作者が書いているのだから当然だが。それは、「ちょっとエロい事」で、あると思う。パンチラは頻出するし、女の子の裸体が良く出てくる。実際。しかし、ながら短編集に載っているウイングマンの元ネタになっている話は、えらく暗い。

 荒木飛呂彦の初期作品も大好きだ。「魔少年ビーティ」、「バオー来訪者」、「ゴージャスアイリン」(短編集)等々を持っている。彼は、「JOJO」の連載が長いから、そんなに短編集とかは出ていない。「JOJO」は長いから最初の方からずっと読んでいると、絵が変わって行くのが分かる。1部、3部、6部で出ているディオとか、出る事に顔が違う…。

 さて、初期作品だ。最近の作品は「基本ややこしくて、分かりにくい。」。ストレートな話はほとんど無い。それに比べて、彼の初期の作品は、比較的ストレートなモノが多い。複線の張り方が分かりやすい。しかし、やはり、完璧にストレートな話はあんまりない。彼のデビュー作「武装ポーカー」を読めば、三つ子の魂百までって感じだ。

 初期作品を読んでいて楽しいのは、現在の作品と比較してと言うのが大半かもしれないが、突っ込める所があるところだと思う。「むむ!この顔ちょっと変だな。」とか「このセリフどさくさだな。」とか「話の展開が強引だな。」とか。突っ込める所が多いから、逆に面白いというか、面白い所、良い所が際立つと言うか。

 僕自身脚本を書いていて、時々脚本を書き始めて頃の脚本を部屋の隅で見つけて読む。その時感じることに似た事を、初期作品を読んでいると感じる。少なくともプロで、単行本を出している漫画家の方と同じレベルにいるとは全然思わないが、初期の作品なんだから彼等も成長段階にあったわけで、そんな思い共有しているんだと、一人で盛りあがる。

 僕が最近読んだ漫画は80年代の物が多いのだが、桂正和にしろ、荒木飛呂彦にしろ、80年代から現在に続いて漫画を書きつづけている。そして、思う事。3年一昔と呼ばれるこのご時世で、80年代から現代にいたるまで、漫画を書きつづけている人、漫画以外の分野でも、それを続けている人はスゴイ人だ。継続は力なり。僕もそんな人になりたいです。

 

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