第25無駄話  派生コラム「ダイエットの普遍性」(04/08/11)
 

 

 22〜24話にかけて、私が知らない間に行ってたダイエット、ナカノ実験室的ダイエット法について解説してきたが、ダイエットのことを考えている間に考えが派生し、「ダイエットの普遍性」というものを考えた。「普遍性」という言葉は、テキストで習ったわけでなく、 拾った哲学の教科書を読んで勝手に理解していることなので、間違った見解をしているかも知れない。
 私は「普遍性」とは、物事の根本的な仕組みや構造、性質のことで、物事を取り替えても応用が可能な性質のことだと思っている。
 さて、22〜24話で述べたダイエット法の、考えの根本は、「必要なモノを必要最小限で使うことで、目的を達成する」ということになる。「使う」とは、当然、「食べる」ということである。また、「目的」は、「体重を減らす」ことである。この根本の考えは普遍性を持っていると思われ、それを環境問題に絡めて考えてみようと思う。

 「食べる」とうことは、人間が生きていく上で絶対に必要である。現在の日本の「食べる」を考えた場合、かなりの必要以上の部分がある。一日に万単位の人間が飢えなくてすむ量の残飯や廃棄食品を出し ている。それは、十分に食物を用意する事でいつでもお腹いっぱいになれるためだと思われる。
 また、食品を保存するためにかなりの電力を使っている。食品を保存するために使う電力は、例えば冷蔵庫のことである。また、自動販売機やコンビニも規模の大きい冷蔵庫とも考えられる。
 自動販売機やコンビニは、食べたい時や飲みたい時に、すぐさま摂取できるために存在していると思われる。特に夏場は、冷たい飲み物がすぐに手に入るということが重要であると思われる。しかし、冷たい飲み物が欲しければ水筒に冷たいお茶をいれて持ち歩けば 良いはずである。水筒を用意する労力を多くの人が払えないから、自動販売機やコンビニが繁盛するのだと思う。 労力のかわりを全て、電力なりのエネルギーで賄っている。

 「食べる」に関わらず、日本人の生活は沢山のエネルギーの上に成り立っている。このコラムでさえ、照明の元、パソコンを使って作成している。極端なことを言えば、日本人の生活から電気をなくしてしまえば、それだけ環境は良くなるわけだが、それは不可能 だと思う。例に挙げたクーラーや冷蔵庫、自動販売機、コンビニも人の生き死に関わっている。クーラーがなければ、夏場に熱中症等で亡くなる人は増えるだろう。また、私自身、自動販売機に救われたことがある。1回生か2回生の頃、駅で電車で間に合うようにダッシュした所、電車には間に合ったのだが、電車の中で眩暈に襲われ、次の駅で降りた。ひざまずいて、「何か飲まないと、死ぬ。」と思った時に、JR円町駅(だったと思う)のホームに自動販売機があり、ポカリスエットを飲んで一命を取り留めた訳である。
 電気のなかった時代は、今よりもっと死ぬ人が多かったと思う。特に温度変化に伴って亡くなる人は、ずっと多かったと思われる。しかし、すでに電気のある生活が当たり前になっている我々には我慢が出来るはずがなく、また、環境を守るために人が死んでしまえば本末転倒である。
 しかし、環境を良くするということを考えるならば、何か出来ることをしなければならない。それは個人レベルであってもだと思う。電気が当たり前に使える我々は、その状況にどっぷり使っているようでは環境が良くなる筈がない。

 ここで、ダイエットから得た普遍性、「必要なモノを必要最小限で使うことで、目的を達成する」を絡めて考えてみる。私の提案したダイエットは必要な量だけ食べて、運動することで、減量をするということであった。環境問題を考えた場合、使うものは「資源」や「エネルギー」であり、目的は「環境を良くする」ということである。例えば、クーラーの設定温度を一度上げれば、それだけ消費する電力が少なくなり、環境を良くすることに繋がる。そこで必要最小限というものを考えると、我慢できる間はクーラーを使わないこと になると思われる。ただ、暑さで死んでしまったり、精神的に悪い影響を受けても仕方がないから、我慢出来ない時はつけるのは仕方がないと思う。しかし、日本人は確実にクーラーに肉体的強さと精神的強さを奪われているから、それなりに耐える精神を養っても良いと思 う。
 また、「寒いくらいにクーラーをきかせて、毛布に包まって寝るのが好き」という声を聞いたことがあるが、そういうことは冬にやれば良い。無駄にエネルギーを使うのはやめたい所 だ。

 「食べる」に関しては、外食産業というかなり巨大なものが関係しているから個人レベルで何かを行うのは難しいと思われるが、やはり、「必要なモノを必要最小限で使うことで、目的を達成する」を考えると、無駄に食べないことや、環境のことを考えれば、下水に注意するなど色々出来ることはあると思われる。
 現在の日本の「食べる」に関わる環境を全て変えることは、おそらく無理であろうが、この残飯や使われるエネルギーの問題を少しでも軽減すれば、環境は良くなると思われる。ダイエットと違い劇的な効果は見れないと思われるが、少しでも効果があると思う。

 さて、ダイエットに絡めて環境問題というものを考えてみたが、結局の所、環境を良くするには、ある程度の我慢が必要だと思う。我慢というと苦しいが、ちゃんと目的を持てば前向きに考えられると思う。食べ物に関しては私が知らない間に行っていたダイエットと同じで「食費を浮かす」ということを目的にすればある程度達成され、また、電力に関しても、同じ目的で達成できると思われる。さらに、クーラーで言えば「肉体及び精神力を鍛える。」と思えば、暑苦しいこと自体に意味が出てくるのではないだろうか?

 おわりに

 どうも思いついて作成したものの、内容が取り留めのなくなってしまった感がある。文中で使った、「環境を良くする」という表現にも違和感がある。「環境とはなんなのか?」、「良い環境とはなんなのか?誰が思うのか?」、この辺のこともまた考えてみようかと思った。

 

 

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