第28無駄話「リセット世代」(04/10/12)
 

 

 私は多分、リセット世代である。だから、今回はリセット世代について書いてみようと思う。

 リセット世代
 リセット世代と言う言葉は、随分前に使われていた言葉で、多分今では死語だと思う。ようはゲーム世代を指していて、ゲームをよくやる若者は、ちょっと嫌なことがあったら、「リセットボタンを押したがる」というような用法で使われる。
 ゲームをやっているとリセットボタンを押したくなることは沢山ある。例えば、ファイヤーエムブレムでは、戦闘中に死んでしまった仲間は二度と生き返らないために、戦闘中に仲間が死んでしまうと、即リセットである。エンディングは生き残ったメンバーによって変わってきたりするからだ。また、ロマンシング・サガ(とくに2)のような選択肢のあるRPGでは、選択の結果、自分の思うような結果にならなかった場合は、リセットボタンを押したくなる。リセットを押すと、セーブした地点からやりなおせるからだ。また、セーブ機能の必要ないアクションゲームやシューティングゲームでも、ゲームを始めた最初の方に失敗をすると、リセットしてやり直したりすることは、良くある。
 リセット世代とは、ちょっとでも悪い結果になるとすぐリセットボタンを押してしまう人達に向けられた言葉である。リセットボタンを押す我慢がないから、実世界でも我慢する心が足りないとか解釈はいろいろあると思われる。
 私自身のことを考えてみる。私は、破滅願望という訳ではないが、思い通りに上手く行かないことや、どうしようもないことにぶつかると、全てをぶち壊したくなる時がある。誰しもそんな風に考えることはあるのだろうと思うが、これは私自身がリセット世代に入っているからではないかと思う。自分自身の弁護をすると、思うだけで実際に壊したことは、多分、ない。

 ゲーム的思考
 私は、人並み(以上?)にゲームをする。好きなジャンルはRPGだ。リセット世代とは関係ないが、自分自身の思考のパターンを考えると、何かゲーム的な思考をしているのではないかと思った。
 RPGを例にして考える。多くのRPGでは、フィールドを歩いて、敵と戦って勝つと、お金を貰える。そして、そのお金で武器や防具を調えて、ゲームを進 めていく。敵との戦闘が努力であれば、得たお金は結果である。つまり、RPGの世界では努力に対する結果が保障されていて、どんどん、進んでいくことが出来る。
 私は、演劇をしている(していた?)。演劇は、単純化すれば練習と稽古の繰り返しであり、練習は努力であり、本番は結果である。基礎的な能力というものは当然あるにしても、やはり結果の保障された世界であると思われる。
 話が演劇にそれてしまったが、さらにRPGについて考えると、謎解きという要素がある。プレイヤーが謎にぶつかった場合は、なんとかして、その謎を解かないことには、先に進めない。しかし、やはり、ゲームであるので、謎を解く方法も答えも用意されている。
 私自身の考え方を考えてみると、何か、努力に対しては結果が、そしてぶつかった問題には絶対に解決作があると考えている節がある。また、第20無駄話「天は二物を与えず」で少し触れているが、人間の能力をステータス(パラメータ)と考えている所がある。しかし、現実世界では、当然、数値化できないことや、努力ではどうにもならないことが沢山ある訳である。アナログ世界とデジタル世界の違いと言えば、大袈裟であるが、最近、そんなことを考えたのであった。

 まとめ?
 結局の所、現実世界では押したくても、リセットボタンという物は存在しないし、セーブも出来ないということもコレ、現実である。ドラえもんが歩き回る頃になれば、人生にセーブ機能がつくだろうか?そうなってくると、教会やお城の役割も大きくなってくるであろう。

 

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